中島昭聡インタビュー

自然体験・イベント 中島昭聡(通称:しま)
株式会社僕らの家大黒柱
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下記はZine誌『かたりね』でインタビューいただいた際の記事です。

―「僕らの家」は何をしている会社なんですか?
キャンプやトレッキングなどの自然体験事業を行っています。
「僕らの家」という社名には「みんなにとって自分の家のような場所になりたい」という思いを込めています。 

―「僕らの家」を立ち上げたきっかけを教えてください。
「僕らの家」は二足の草鞋で始めたんですよ。
入社1年目の2009年2月27日に任意団体で立ち上げました。
サラリーマン時代は朝7時前に出社して、
夜中の1時過ぎに自宅に帰ってくるという忙しい生活を送っていたんですね。
それにある上司との人間関係で悩んでいました。
それらが原因で倒れてしまったんですね。
もう嫌だという感覚もありましたけど、周りをよく見渡してみると僕と同じように
疲れている大人が多いことに気づいたんです。
そんな疲れている大人がもっと元気になれる場所をつくりたいって思ったんです。
それがきっかけですね。
最初のプログラムは自然体験ではなくて語り場を始めました。
仕事や目標、夢について語る会です。
社会人は疲れている人が多いなと感じていたし、学生時代に比べて人と語ったり、
自分自身を見つめ直す時間が少なくなっていると思ったので
「じゃあ、そういう場をもっと作ったらいいんだ!」と。

もともと学生時代から野外教育と呼ばれているキャンプやトレッキングの自然体験の分野で
独立をしたいって思っていました。
独立をするためには経営の勉強が必要なので、
今もコミュニケーションで使っているコーチングと起業のことを勉強できる企業を探して、
前職の会社に入社したんです。本当はすぐにでも二足の草鞋で自然体験のプログラムをやりたかったんですよ。
では、なぜ最初からやらなかったかというと、自然体験をしたことがない人や僕を知らない人にはハードルが高いだろうなと。
そこで最初の入口として都内で気軽に参加できる企画が必要だと思って、語り場を始めたんですね。
語り場をやり続けていくうちに僕と参加者との間にも信頼関係がでてきて
、自然体験にも参加しやすくなるだろうって考えたんです。

―ちょっとした作戦があったわけですね。手応えはありましたか?
都内の区民館を借りて始めた最初の語り場は参加者4人にスタッフが2人でした。
参加費も500円だったから全然売上にならない(笑)。
会場費でトントンだったから、独立できるなんてそのときは思ってもいませんでしたね。
ただの満足感しかなかったですよ。
それでも語り場を計15回くらい開催したんですけど、
会を重ねるごとにだんだん人が増えていって、
毎回20人以上参加するようになりました。
で、試しに夏の時期にキャンプを企画してみたら、たくさんの人が参加してくれて、
そのときに「もしかしたらいけるかな」という思いがちょっとだけ出てきましたね。
2009年の9月にはトークライブも始めました。
一歩踏み出す場所を作りたいという思いがあって、トークライブを開催しました。
最初のトークライブのゲストが「地球探検隊」の中村伸一隊長です。
外国人と一緒に旅をする多国籍ツアーで有名な旅行会社の社長さんです。
サラリーマンをやっていたときは、上司と人間関係が合わなかった。
独立もしたかったけど、一歩踏み出す勇気もなかった。
そんな大人が多いと感じていたので、
中村伸一隊長のように自分の信念を持って生きている人たちをゲストに呼ぼうと思ったんです。
彼らの話を聞くことによって、参加者の価値観が広がると思ったから。
「僕らの家」は「心身ともに元気にすること」「みんなが安心して帰ってこられる場所を作る」という二つの思いで日々仕事をしていますけど、
その思いはやり続けていくうちに洗練されて磨かれていったんですね。
二束の草鞋で始めたときは、一歩踏み出す場所を作りたいという大きな括りで語り場を始めていたんです。

―そもそも、なぜ野外教育と呼ばれている自然体験の勉強をし始めたんですか?
野外教育の話をするにはまず中学時代の頃から遡って話さなければなりません。
実は中学生のときに人間関係がうまくいかなくなって
、半不登校だったんですね。ずっと保健室にいるような子でした。
毎日、生きているのが嫌で自分の居場所がないことがすごく辛かった。
他の人にも同じような経験をしてほしくない思いがあって、人の心理には人一倍興味がありましたね。
高校生になってから柔道を始めるようになりました。
中学のときの経験からどうしても自分自身を変えたかった。
たまたま柔道を教えてくれた先生がすごくいい先生でした。
その先生に「できなかったことができる楽しさ」と「できなかったことができるようになると目標を持つ楽しさがわかる」ということを教えてもらいました。
自分で決めた目標ができるようになると自分に自信がつきますよね。
柔道がきっかけで自分自身のことを認められるようになりました。
自分に自信がなかったときは他人のことを考える視点がなかったんですけど、柔道を始めて自分のことを認められるようになると、
他の人にも目を向けられるようになりました。
中学生の頃の辛かった経験を他の人にも味わってほしくないという気持ちが高校生のときに芽生えました。
柔道をやっていなかったら、自分に自信がないままでいたから、
きっと他の人に目を向けることはなかったと思うし、きっと違う人生を歩んでいたでしょうね。
大学ではアニマルセラピーを勉強しようと思い、帝京科学大学に入学しました。
動物を介して人を癒す勉強をするためです。でも自分にはどうもピンと来なくて。
そんなときにたまたま入ったサークルが野外教育を行っていたんですね。
子供向けに自然体験を企画していて、自然のすばらしさを伝えていました。
野外教育を知ってからはもうどっぷりはまっていきました。大学時代に入ったサークルが自然体験のきっかけです。
自然体験に夢中になり、NPOや株式会社が企画している自然体験を調べて、ボランティアやアルバイトをよくしていました。
自然の中にいると素直になって、見栄を張らなくなる。自然は人が輝く場所なんだと思ったんです。
その魅力にすごく惹きつけられたのかもしれません。

―「僕らの家」を始めてから、自分自身の思考や行動に変化はありますか?
今感じているのは二つあります。まず一つは、とても感謝するようになったこと。
僕が思っていた以上に応援してくれる方々が多いんですよ。
「僕らの家」は人に支えられて成り立っている会社なので、お客さんとして来てくれる人たちに対して感謝の気持ちがより芽生えるようになりましたね。
参加者の方からお礼のお手紙をもらうことが原動力になります。
こちらが「参加してくれてありがとう!」という仕事なのに逆に「ありがとう!」というお手紙をくれるんですから。
それに好きなことを仕事にしているから、毎日が楽しいですよ。
モチベーションが下がるときもあるし、苦しいときもあるけどそれも含めて楽しい。
前職のサラリーマンをやっていたときにはない感覚ですね。自分たちがやればやった分だけ、
結果となって返ってくるからすごく楽しい。
二つめは「僕らの家」をやる意味がより強まったことです。
2011年2月2日に法人化しましたが、その翌月、3月11日に東日本大震災が起きましたよね。
これは正直きつかった。うちみたいな小さな会社は影響なんて受けないけど、
日本全体が沈んでいたから、僕も気持ちが落ち込んでしまいました。
だけど、こんな時期だからこそ「僕らの家」の価値があるんだと。
東北の人たちもすごく苦しんでいるけど、東京に住んでいる人たちも苦しんでいると思ったんですね
。震災ボランティアに行きたいけど、仕事や家庭の事情で被災地に行けなくて気持ちが落ち込んでいる。
残念ながら僕もなかなか東北に行くことができないし、震災支援に力をかけることはできない。
だけど、東京にいる人たちを元気にすることはできるんだと思って、震災後、
東京の人のために「僕らにできることは何だろう?」という語り場を始めたんです。
「みんなの家のような場所になりたい」という思いが一段と強くなりましたね。

―今後の目標や展望を教えてください。
みんなの居場所づくりという大事な思いをぶれずにやっていくことは変わらないのですが、
今後は東京の代々木に勝浦の食材を使ったカフェを開きたいですね。そこで「僕らの家」のワークショップをやりたい。
東京にも気軽にふらっと帰れる場所を作るのが当面の目標です。